内在的実在論・形而上学的実在論
形而上学的実在論とは、世界は心から独立したあるがままの対象からなる全体であり、その世界についての唯一の「真なる記述」が存在する
また真理とはそのような対象と記述との対応であり、それは認識論的含意をもたない。
要するに、理論はわれわれのいかなる正当化とも無関係に実在に対応しているか否に従って真か偽であり、その外在主義的描象の象徴は<神の視点>である。
パトナムがこの立場を放棄した理由は、この立場にとってあるべき唯一の指示関係を原理的に確定できないというモデル理論的考察 (レーヴェンハイム―スコーレムの定理)である。
問題の核心は、無限の対応関係C1,C2…の中から<真理の対応説>に相応しい関係をいかなる条件を吟味しても特定できないということである。
それゆえパトナムは<真理の対応説>を放棄する。
彼にとって真理とは、
1.最終的に収束する
2.<理想化された>合理的受容可能性
したがって、もはや実在の模写が真理でない以上、内的実在論の主張では、世界の「真なる記述」は複数存在し、その様々なヴァージョンの内部でのみ対象の存在への問いは意味をなす。
つまり心と世界の両方が協力し合って心と世界を制作するのである。
他方、合理的受容可能性は客観性を要求するがゆえに、
「正しい」と「正しいと思われる」を同一視する相対主義
また価値を「存在論的にいかがわしい」主観的なものと見なす実証主義的物理主義も
ともに内在的実在論によって断罪されることになる。